覚〔禁書に関する件〕

差出人不明(長崎奉行所か)・宛先不明(聖堂祭主か) 江戸時代 聖堂370-38-1 

[禁書目録](断簡)

同上 聖堂370-38-2

 

(本文)

  覚

一圜容較義[1]

一渾蓋通憲図説[2]

一測量法義[3]

 

右三部之書者貞享二

 丑年世間流布御製禁

 被

 仰出候三拾弐部[4]之内之由、

弥其通ニ候哉之事。

一此節河本時次郎[5]見出

 差出候右三部之書者

 写本之由。然共流布

 御製禁之儀者同様ニ

 有之候哉之事。

一享保五子年、文句ニ

 不相障引用有之書[6]

 世間流布不苦旨被

 仰出茂有之由ニ候得共、

 右三部之書者御禁書之

 名目有候ニ付而者、引用之

 書ニ而者無之、全御禁書ニ

 候哉之事。

一是迄御禁書持渡候儀

有之哉。其節者如何

被仰付候哉之事。

一是迄如此節之市中

流布之内、御禁書之類

改出差出候例有之哉。

且亦差出候末、如何様

被仰付候例有之哉之事。

 

右相尋候趣、ケ条限、

相分り候様答書可被差出事。

 

十二月                           

(了)

 

 

 

 

 

 

 

 



[1] 圜容較義(かんようかくぎ)‐〈国史〉利瑪竇・李之藻著、万暦42年。西洋式幾何学書。

[2] 渾蓋通憲図説(こんがいつうけんずせつ)‐〈国史〉李之藻著、万暦35年。天文機器アストロラーベの解説書。

[3] 測量法義(そくりょうほうぎ)‐〈国史〉利瑪竇・徐光啓著、万暦35年。西洋式測量術書。

[4] 三拾弐部−禁書に指定された32部の書のことか。寛永7年に『天学初函』のうち21種が禁書として扱われるようになり、その中には『圜容較義』、『渾蓋通憲図説』、『測量法義』も含まれる。その後貞享2年に向井元成が発見した『寰有詮』を含め16種が禁書に指定され、総計37種となる。しかし享保5年、吉宗の実学振興策によって禁書の策が緩和された際この3書の禁は解かれた。本文書における問い合わせは以上の事情を確認するためのものだったと思しい。

[5] 河本時次郎‐詳細不明だが、聖堂の書物改手伝いに河本紀八郎、河本鉄次郎、河本紀十郎などがおり、その同族か。

[6] 文句ニ不相障引用有之書‐ここでは、キリスト教の教理を直接説くのではなく、その種の著作を引用する書のことか。

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