御書付〔信牌取締に関する件〕

差出人不明(長崎奉行か)田辺八右衛門宛 寅8月(享保19年(17348月か) 聖堂660-737 

 

(本文)

田辺八右衛門[1]

[朱鉛筆で「信牌取締書」]

一信牌[     ]元仲[2]

若候付[    ]諸役勤候。

猶又信牌方之儀、随分入念、

割合[3]等遅速無之様可仕候事。

[        ]ニ信牌相

[       唐]人願書差

出候ハヽ、其[     ]願

訳相立、信牌相与候趣之儀、前例

等之儀、委細懸り之用人[4]江可

申達候[     ]議信牌可

相与□尤■■相成候儀ニ候間、

随分入念可進僉議事候事

  但

   通事共内証□以相頼候

趣等有之贔屓を以訳難

相[  ]候儀有之者

   其方共可為越度事。

一唐人共依願定銀高ニ増銀申

付候儀有之候。是又願之品又

御用等申[ ]候節信牌相与候

程之儀ニ茂無之節作略有之

申付事候。ケ様之節茂其品ニ寄

存寄茂有之候ハヽ、無遠慮

懸り之用人□内意可申候事。

一唐人信牌之儀付願之筋有之、

前奉行申付置、其船未帰、

奉行交代有之候節者、其願

之趣帰帆前ニ懸り之用人江

申達、間違無之様ニ可致候事。

一信牌収可有之程之科

唐人ニ有之候節、其旨心附懸り之

用人江可申達候。ケ様之儀有之

候而茂近来無之儀者此方二而

心附不申事茂有之候間、無

遠慮心附次第内意可申候事。

一前々より唐人ニ法度申付

置候事、近来怠候事茂相

聞候。此儀者年久敷儀候へ者、

年々奉行交代有之候故、去年

在勤奉行申付置候儀此方ゟ

猶又不申付候得ハ、何となく怠、

通事共方ニ而ゆるかせに致置

候事有之様相聞候。尤奉行

交代之節一々申送候事ニ者

候得共、猶其方より心附懸り之

用人迄可申達候事。

一此度新商売之法[5]被 仰出

候ニ付、信牌年限後れ候節

銅減し又者信牌取上候儀等、

唐船入津之節御役所江罷出

信牌割印相改、其趣懸り之

用人江可申達候事。

一唐船方御定高ニ違過不足

有之、約束之船入津有之節者、

大改[6]之節懸り之用人并商売

方年寄[7]江其趣書附を以可

申達候。尤右之趣其方ゟ

申達旨者年寄共江茂申渡

置候事。

  但御定高過不足無之節も

  大改之節其趣書付懸り之

  用人并年寄江可申達候事。

 

右之趣入念可相勤候。尤元仲

年若有之候万端其方心附、

御役筋懈怠無之様相互ニ無

疎意可申談候。勿論漢文御用[8]

方之儀茂只今迄之通其方江

申付之候。依之為加役料銀壱貫目

申付之候。

 

  寅

   八月

 

(了)

 

 

 

 



[1] 田辺八右衛門−田辺茂啓(1688-1768)。江戸中期の長崎聖堂書記役で、通称八右衛門、功山と号した。『長崎実録大成』(長崎志正編)の編者。元成の弟子として、野間元簡とともに信牌割方に関わり、また和算をよくした。平岡「長崎の印章」、53-54頁。

[2] 元仲−向井元仲(1712-89)のこと。聖堂五代祭酒。享保12年(1727)正月〜明和2年(17658月、在職延べ39年。京都向井元桂の三男。祖父は元成の兄元端。享保1216歳の時に長崎へ来て文平の養子となり、文平没後に祭酒を継いだ。(『新長崎市史』近世編、751頁)。

[3] 割合−ここでは信牌の発給と回収・確認にまつわる業務(割方と合方?)のことか。

[4] 懸り之用人―文脈から、長崎奉行の用人のことか。

[5] 新商売之法―本文書の成立が享保19年(1734)だとすると、その前年に唐船を1艘減じ29艘としたこと、あるいは、同年に雑物替会所を廃止してその業務を長崎会所へ取り組んだことを指すか。

[6] 大改−奉行所立山役所で長崎奉行の立ち合いのもと行われた貿易品の検分・荷改め。幕府御用の品の選定も兼ねた。

[7] 年寄―長崎町年寄のこと。

[8] 漢文御用―書物改めのことを指すか。

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